サングラスしてないけどね。
美術教育

美大に通って思う。
美術大学という、ある意味スポーツと対極にある大学のバスケ部に入って、高校時代に全国大会出場ってオレが経歴では一番上で経験の差からまだまだ負ける気はしないが、才能的、能力的にはオレなんかよりもっと優れた人間は美大にすらたくさんいる。しかし、高校では強豪校でバスケットボールを指導してもらってないがために俺より下手なだけで、こんなもったいないことは無い。もしこの才能を早い段階でどうにか導くことができたら、日本のバスケットボールは今より強くなる。
これは、美術界、デザイン界にもいえることだと思う。人口の増加は確実に発展につながる。

美術をデザインを知らないだけで才能を開花しきれない人間がたくさん存在するだろう。他を知らないからなんともいえないが、オレは一般大に当ても無くとりあえず入学するくらいなら、美大どう?って思う。めちゃめちゃ楽しいぞって。

最近、地元に帰ると笑いのつぼが周りとどんどんかけ離れていって盛り上がっている話題でどうも笑えないことが増えた。これはオレが美大にある意味染まった証拠だ。
しかし、悪いことだとは思っていない。こっちの笑いのほうが高度だ。
楽しさに関しては美大のクオリティは他の大学に比べて群を抜く。これは当たり前の現象だ。なぜかと言われれば、常に俺らは物を生み出す練習をしている。与えられた課題に対し、自分なりの答えを用意しなければいけない。教科書は存在しないようなものだ。暗記など意味が無い。そのために俺らはさまざまなものを見る。デザイン外のものをみる。そして、課題の本質に迫ろうとする。掘り下げるという行為を感覚的に行うようになる。表面的なものをまず取っ払う。簡単に捨てる。なので会話は大体えぐいものになることが多いが、面白い。それは他からみたら発想が独特、個性的、などという言葉になってくるのだろうが、作り手としてみれば個性や独創を求めて作っているわけではない。ごく当たり前のことをしているだけなのだ。振り返ってみたらたまたま誰も考え付かなかったものになっているだけなのだ。美大生が独特なのではない、一般の人が見ていない世界を見ているだけであって、彼らは先に行っているのだ。
笑いに関してみても、話の何がどの部分が面白いのかを理解しているから面白いのだ。そして、それを伝える技術はプレゼンにつながってくる。相手側、クライアントにどう伝えることが一番効果的なのか。これも日々研究している。会話が面白くならないわけがない。

ではこの独創性というものは美術、デザインだけに必要なスキルなのか。そんなことはない。少し考えればわかることだ。
しかしながら世の中はそんなことすらわからないらしい。社会に出て、テストなどは存在しない。何かを生み出す側の人間にならなければいけないのに。

この文章を読んでムカついている一般大生は1度勝負してみるといい。どんな会社の課題でもいい。どんな企画でもいい。美大生、スゲーものを提案してくるぞ?こんな人間が世の中に増えだしたら怖いぞ?
勉強ができればいいなんていう神話は簡単に崩壊する。美大生はアホだ、なに考えてるかわからない、んじゃない。とっても普通だ。キチガイなどほとんど存在しない。それを勘違いしている美大生もこれまた多いのは事実なのだけど。もう1度いうが、面白い遊びがたまたま誰も思いつかなかっただけで、彼らはそれを他よりたくさん思いつくだけなのだ。特別なわけではない。見えている世界が違うだけだ。しょうがない。

これは、宣戦布告であり、ただ単純に今のメタ化された社会に対してケンカを売っているだけだ。たまたま美術教育について考える機会があったから美大に入って感じたことを書かせてもらった。もし、このように思ってくれる教師が増えて、教育の流れが変わってくれたら面白くなると思う。何も知らない田舎ものが想像するような地味で暗い歪んだ世界ではない。物事の本質を日々探究する、哲学的な世界。とてもかっこよく華やかな世界だ。美術やデザインはバカじゃ決してできない。
それを中学高校に通う若い才能たちに1番伝えなければいけない。親にでも政府にでもない、しかし、美大に通えば誰もが成功するわけではない。いつの時代も全体の10%以下の戦いだと思う。それでもいい。もっともっと騙して騙して分母を増やすことはいいことだ。確実に発展につながる。教育界はとても保守的に感じる。改革に失敗したらその子供たちの責任は誰が取る?などと聞く。俺はゆとり教育は別に悪いとは思わない。オレが現在バカな理由は、ゆとりを履き違えて勉強しなかった自分のせいだと思っている。政府の責任、教師の責任だなんて思っちゃない。気持ち悪い。それより、変える、捨てる、破壊することにビビッて何もしない、もしくは少しずつ変えるでは時代に取り残される。失敗したっていいじゃないか。失敗を前提におかないことこそバカなんじゃないだろうか。俺の思想のどこかには必ず、落ちるところまで落ちてしまえばいいと思っている。これはとても危険な考えだと聞いたことがある。しかし、カウンターはたまればたまるほどに威力はでかい。ふり幅は大きいほうがいい。挫折した人間がカムバックしたときは恐ろしく強い。

少し話を変えてみる。経済の話。今、時代はエコエコ言っているが、これは新たな市場がほしいってのも関わってきていると思う。需要のない市場の開拓による経済の活性化。
美術、デザイン、これは開拓できない市場だろうか。供給過剰のパンク寸前だろうか。俺は経済はまったくわからないが、おもしろい話だと思う。美術教育を推進することによる5教科の弊害はわからないが、人間的には間違いなく成長する。本質を探し表現することが美術なのだから。娯楽は間違いなく発展するだろう。面白いことをする会社も増えるだろう。人間のプリミティブな活動をもう1度見つめなおすいい機会になるとだろう。本能を刺激することは活性化につながらないだろうか。
バブル時代は絵画は飛ぶように売れたと聞く。娯楽に金を使う余裕があったから。不況に美術は向いていないといわれるだろう。しかし美術教育は向いている。美術教育は自立を促す。自分で答えを見つけ出す術を学んでいるから。5教科にはないスキルが見につく。それに、今まで5教科ばかり推進してこうなったんじゃなかろうか。有名大学進学、大手企業就職、という流れのどこに新たな市場があるのだろう。新しい若い企業が出てこない今の社会は、自立できない若者が多いからではなかろうか。
新しい流れ、それを担う美術教育の潜在能力は計り知れない。一度身につけば、ほかっておいても勝手に育つ。美大に通って思うが、みんな勝手になんかスゲーことをしている。なにか強要されるわけでもなくグループ展を開き自己アピールを続けている。美術デザイン外にも、音楽や文学など多岐にわたって作品を作り自己を確立しようとしている。こんな万能性、他大学でここまで見られるだろうか。とっても素敵なことだ。

中学高校での美術教育は、決してスキルの上達ではない。その部分を生徒、もっといえば社会に対して明確に伝えるべきだ。俺が地元に帰るとありがたいことに飲み会に誘ってもらえる。そこで始めてであった人に美大でデザインを学んでいると伝えても、毎日絵を描いているの?と聞かれる。これは美術大学=絵画だと思っている証拠ではないだろうか。絵がうまくないと、絵が好きじゃないと入学できないとでも思っているのだろう。最初は何度かそんなんじゃないんだよと伝えていたがあまりにも毎回聞かれるから途中で止めてしまったくらい。美術は専門でないからわからないが、デザインの場合は必ずしも絵がうまくないといけないとは限らない。絵がうまいに越したことはないのだけれども。デザインの本質は絵ではない。もっと言うと絵なんて描けなくてもいい。しかしオレ自身がそう気づくまでにも時間がかかったから、美術無関係な人が理解すること自体無理なのだろうけど。これはなぜだろう?と考えれば、教員にデザイン科出身者が少ないことが原因ではないだろうか。そして、デザインを授業として扱うということが困難だからではないだろうか。

小、中、高と学校で勉強する理由は学力を上げるためではないと俺は思っている。それが目的なのであれば、今のカリキュラムは無駄ばかりだ。では何を求めているのか。いろいろあると思うがその1つに、将来の選択肢を増やす、もしくは短所の発見だと思う。世界の広さを教える場でなければならない。なのに今はどうだ。言い出したらきりがない。
オレの母がたまたま教員なため、今の学校の1部の現状が日常会話の中にしばしば出てくるが、そのたびオレは怒っている。とくに、オレの地元は岐阜県という何のとりえのない田舎なものだから世間はとっても狭い。昭和を引きづったおっさんおばさんらがいるからいけない。でもこの現状がもっとひどくなればいいとも思ってしまう。その反動で生まれた若きパンクスたちは絶対面白くなる。と話は逸れた。
ようするに、美術教育が本当に教えなければいけないことを伝え切れていないことが原因なのだろう。美術やデザインは精神論だと少なからず俺は思っている。本質が見えていないときはいいものは生み出せない。

今の世の中は不況の結果、またしてもテスト至上主義に追い風だ。別にそれはいいとして、意味がわからないのは美術教育もそこと同じフィールドで戦おうとしていることだ。そりゃ美術なんていらねーって授業時間をへらされて当然だ。そもそも美術教育は5教科の授業とはまったく違う。テストはないし、答えもない。それは体育も音楽も一緒なのだが、結果が違う。マラソンはタイムが速い順に優劣をつけ、歌を歌えば音程が合っている合ってないで評価ができる。しかし、美術は違う。絵がうまい順に評価ができるといえばできるが、美術には「おもしろい」という表現が存在する。これは独特の表現である。上手でもつまらない、下手でもおもしろい。これが最大の特徴だ。その点をめぐって保護者と成績についてもめることもあるらしいが。これが美術のおもしろいところであり、逆に理解不能なところでもある。うまいへたではない、おもしろいかおもしろくないかなのだ、というところを何らかの形で伝えることができればいいのだが、まだ俺にはわからない。
今までの世の中を変えてきたのは、科学でも文学でもどんな業界でも発想が型にはまってない異端な存在であり、答えを自ら発見してきたものたちだ。はじめから答えの用意されているテストで見つかるわけがない。そして戦後、高度経済成長、バブルと、新しいものばかり出現してきた勢いのあった日本の当時は、テストばかりでもそりゃ若者は勝手に自立していっただろう。ふざけんなこんなん嫌だって反骨精神の塊のような時代だし。なのに今は時代が変わっているのにおんなじことを繰り返し挙句の果てには、最近の若者は、とジジイたちは言う。ちげーだろ!と思う。

俺はそんな若者たちを解放してあげたい。世の中に囚われては駄目だってことを伝えたい。もっと本質を見ろと伝えたい。とまあこんなことを言っても俺がまだまだカスみたいな感じだから意味ないんだけどね。笑

美大に入学して思う。特に、造形大に入学したからこそ思う。タマムサと比較したくはないが授業外は圧倒的にタマムサのほうが楽しい。造形は何かとめんどくさい。過去に何があったかは知らないけどさ。まそんなんはどうでもいいや。

美術教育、最強だと思うんだけどな。これからの時代、1番必要な教育だと思うのは俺だけなのかな。


でも、俺はこれからも美術教育最強説を唱え続ける。美大生万能説を唱え続ける。


ジジイババアども、美術なめんな!!